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敬老の日とは その由来をわかりやすく簡単な言葉でお伝えします! 

2015.05.07

 

敬老の日とは その由来をわかりやすく簡単な言葉でお伝えします! 

9月第3月曜日は国民の祝日である「敬老の日」

その趣旨は「多年にわたり社会につくしてきた老人を敬愛し長寿を祝う日」というもので1966年に制定されました。

この記事では敬老の日の由来と意味について、わかりやすくお伝えしていきたいと思います。


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敬老の日の由来

この敬老の日の由来ですが、現在の兵庫県多可町で1947年から始まった「としよりの日」がその元になりました。

多可町では農作業が一段落して気候もよいという理由で、毎年9月15日を「としよりの日」とし、お年寄りを集め敬老会を開いていました。

それが数年後には兵庫県全体で行なわれるようになり、そして一気に日本全国にも広まっていったのです。

しかし「としよりの日」という名称は、表現としてどうなのかという議論があったため、その後に「老人の日」と改名されました。

そして昭和41年に「敬老の日」となり、国民の祝日として制定されるに至ったのです。

敬老の日の9月15日に関する諸説

この敬老の日の9月15日(現在ハッピーマンデー制度により9月第3月曜日)には他にも諸説あります。

それが「聖徳太子の悲田院設立日」説と「元正天皇の養老の滝への行幸日」説です。

「聖徳太子の悲田院設立日」説

これは聖徳太子が594年9月15日、大阪の四天王寺に悲田院(ひでんいん)を設立したことに由来しているという説。

悲田院とは身寄りのないお年寄りや孤児を救済し、世話をするための施設です。

「元正天皇の養老の滝への行幸日」説

元正天皇が養老の滝に行幸された日に由来しているという説で、その日が9月15日であるというもの。

養老の滝を舞台にした、老いた父を思う孝行息子の逸話をお聞きになられた元正天皇は、養老の滝に行幸して元号を「養老」と改元したと言われています。(よくこれを欽明天皇だとか書いてる人がいますが、全くの間違いです)

なぜこれらの諸説が出たのか

このように諸説ありますが、兵庫県多可町の「としよりの日」がその由来であることは間違いなく、おそらく上記の2つの説に関してはただの俗説だと思われます。

ではなぜこのような説が出てきたのでしょうか。

以前の日本国民は今よりずっと国民の祝日に対する思いが強く、日の丸を掲げてみんなで心からその日を祝いました。

現在のようにその由来さえも知らずに、ただの「休日」としか考えていない人がいるなんてあり得ない事でした。

そして「敬老の日」の9月15日という日は他の祝日のように皇室に関係したものでも、日本の伝統文化に由来したものでもありません。

ですので心から敬老の日を祝うために「どうしても皇室にその由来を持ってきたい」といった想いが日本国民にあったため、そのような俗説も出てきたというのが私の考えです。

しかし敬老の日はその趣旨が認められたからこそ、いち地方の小さな町から全国に広がっていったのですから、ある意味国民全体の総意に基づいて制定された祝日と言えなくもありません。

ほとんどの国民が知らないうちに、経済界やある特定の団体の都合だけでその日が制定された「山の日」などという、偽物の祝日よりはまだマシだと思うのですが。

ただハッピーマンデーなどという国体を破壊させかねない悪法により、連休を作り出すために利用されている現状が続くようであれば、敬老の日は廃止されるべきだとも考えます。

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